2003/2

2/27(木)

■そういえば、先週末は劇団員のオーディションをやった。オーディションといっても、300人も受験した人がいたわけじゃないので、いつものように稽古場で台詞を読んだり、一緒にアップをしてもらったりしただけだ。シャイクスピアと、三島の台詞を課題で出し、劇団員も一緒になって読んでもらったが、これには少なからずショックを受けた。いや、受験にきた人じゃなくって、今いる劇団員にです。本当に「語り」がダメなんだなあ。軽い気持ちで、課題を出したけれど、本当の課題になったよ。そりゃ、たしかに自分の書く台本には、登場人物が自らの心情を告白するような場面はないし、これからも、たぶんないと思うけれど、しかしですね、最低限のレベルというものがあってですね、たとえると、

あるプロ野球選手はサッカーが苦手だ
あるサッカー選手は持久力がない
あるバレーボール選手はジャンプができない
あるバスケットボール選手はシュートは決まるが、ドリブルができない
あるホームランバッターはキャッチボールができない

■つまりですね、「ある俳優は、日常会話の台詞は言えるが、自分が普段使わないような台詞は言えない」という事実は、上の例でいうと、どのくらい問題なのか?ということを考えたわけです。プロ野球の選手が、サッカーが苦手でもいいと思いますが、ホームランバッターだけど、キャッチボールができない、というのは問題です。サッカー選手に持久力がない、というのは、どのくらい乏しいのかにもよりますが、持久力”0”は困るでしょう。

■こんなことを書いたのは、同世代の俳優に共通する問題だと、最近考えるようになったからで、もちろん、そんなことできなくてもいいかもしれないし、必要ないかもしれませんが、少なくとも、これから一緒に芝居をやっていく劇団員には、出来てもらわないと困るなあ、と思ったのです。
■日常会話も、心情を告白する台詞も、台詞は台詞だからです。結局両方できないと、俳優が台詞を言う、ということにはならないんじゃないか。日常会話なら言えるというのは、俳優として言っているのではなく、俳優個人がただ言っているだけなんじゃないか。素人と俳優の違いは、じゃあどこにあるのでしょう。

■相変わらず、何もしていないようで、色々忙しい毎日。戦場のピアニストは、そんなによくなかったですね。ビデオで観たスパイダーマンは楽しめました。

2/19(水)

■公演が終わり、別に書くこともなくなったので、しばらくここを放っておいた。放っておいてもいいんだけど、やはりそれでは、こうなんと言うか、ダメなような気がしたので、何か書こうと思うものの、書くこともあんまりなく、書くことがない日々というのも、それまた記録だし、だからとりあえず何か書こうかと、そんなことを思うわけです。

■終わってから観た芝居は、NEVER LOSEと、グリング。グリングは、噂には訊いていたものの、俳優の演技というものの、その確かさみたいなことを考えた。安定した芝居、安心できる舞台。
■あと、俳優の実年齢ね。リアリティーということを考えるよ。

■忘れていたけど、俳優座の卒業発表公演みたいなものも観た。六本木の俳優座の稽古場。驚愕したよ。なにがって、俳優が舞台に登場するときに、必ずドアのようなものを、開けたり、閉めたりするから。よくコントなんかでやるように。

「ガチャ」

コントでは必ず、そいつはこう言うわけですが、さすがに俳優座はなかった。でもぜっかくだから、言ってもらいたい気持ちもあり、それも小さな声でお願いしたかった。「ガチャ」とさりげなく言う俳優。
■それと、お茶を飲むシーン。カップがあるのに、中身が入っていない。
■あと、映画の吹き替えかよ、という台詞を喋る俳優がいて、いたく気に入った。が、休憩後の2幕は観なかった。
■それで六本木の交差点の角の本屋で、テアトロを見て、詩森さんが最終候補に残っていたので、メールを送ったり、文庫になっていたベストセラーを買い、お茶を飲みながら一緒に観に行ったものを待っていたのだった。

■ああ、本当に書くことがないよ。