”そして、その先にあったもの”

藤田 真琴

 表現手段としての「演劇」というものが、決してメジャーではない今の日本で、演劇を好む人はいったい演劇に何を求めて観るのだろう。何に惹かれて劇場に足を運ぶのだろう。
 劇場からの帰り道、当然その日観た芝居のことを考える(この段階で鞄から文庫本を取り出し読んでいるようならば、その日の芝居の内容は言わずもがな、だ。)。自分に合う芝居を観た場合、家にたどり着くまでたいがい頭の中にひとつの科白がこびり付いている。これが今日の芝居の核になっていたな、あるいは脚本家は自分の想いをこの科白に託しているな、と私が勝手に思ったひとつの科白。その科白を持ち帰るために、私は演劇を観ているような気がする。
 ”ペリカンの群れ”を観劇後、私の頭にあったのは「思想の先に希望があるなら・・・そうなるだろうね・・・。」という言葉だ。これは、金子に「あなたが今捨てそうになっているものとは希望か?」と問われた時の森岡の回答である。森岡の”思想の先にあったもの”は、結局なんだったんだろう。

 この作品の登場人物のほとんどは、革命を目指す者でありながら、驚くほどその志が低い。世界を変えたいのならば、たとえ独善的なものであっても、人一倍強い主張や思想があるはずであろう。しかし、登場人物の多くは、確かに現在の日本に危機感を感じてはいるが、その状況をどうしたいのか、そのために自分は何をしたいのかといった明確なビジョンを持っていない。いや、それどころかピクニックに参加するくらいの気持ちの者すらいる。その程度の意識しかない者達が革命を目指す船に乗り込むだろうか。最初、私はその点に違和感を覚え、作品世界に馴染めなかった。
 しかし、ある瞬間に「これこそが現代日本でのリアルなのだ」と思った。”ペリカンの群れ”の様な無政府状態には(まだ)なっていないが、現実の日本が重い病にかかっているのは誰の目にも明らかなはずだ。にもかかわらず、真剣にそのことに立ち向かっている者は少ない。むしろその状況すら利用して、私腹を肥やす者の方が目立つ。大槻のごとく「革命すら自分のために利用する」ような輩がはびこっているのだ。
 その中で森岡だけは、確かに自分の信じる思想を持ち、その先にある何かを見据えていた。しかし、時の流れの中で思想を持ち続けることに疲弊し、理想をすり減らしてしまった。彼の切なさ・虚しさは、現代社会で真摯に生きようと思えば思うほど味わうことになる消耗と同じだ。そしてそれは、日本で演劇という表現を続けるユニークポイント=山田氏の消耗なのかもしれない。
 山路氏は、そんな森岡の摩耗した心を見事に演じていた。観劇中は、小長谷氏の演じた大槻の迫力に圧倒されたが、時が経つにつれて森岡の金子との会話、そして長田に昔話をするシーンが、心の中でどんどん存在感を増してくる。まあ、私が山路氏のファンである、ということもあるのだろうが。
 −−−逃げ出すな。世界を置き去りにしたままで−−−。森岡の最後の選択を逃げたと思うか、戦い抜いたと思うかは意見があるかもしれないが、私は後者だと思う。思いたい。そして、口にすると恥ずかしいが、我々も今、逃げ出してはいけないのだ。それぞれの場所で、自分の思想を持ち続け、その先にあるものを追い求めて。

 この作品にひとつ注文をつけるとすれば、突然終わってしまった印象を持った、ということだ。ラストシーン、遠藤が止めるのを聞かずに森岡は闘いに行く。それは分かる。最終的に、彼は自分の”思想の先にあるもの”のために闘う道を選んだのだろうから(あるいは”思想の先にあるもの”を諦めたからか?。)。しかし、その後で金子が同じく、死ぬことの分かっている闘いに赴く理由が希薄な気がする。彼女は、母として闘いに行ったのか、それとも革命戦士として闘いに行ったのか。母としてなのだと私は思っているのだが、今ひとつ腑に落ちない。そのあたりを補完するために、森岡と金子のシーンを1つ2つ挿入してくれれば・・・と思う。もっともそのような場面を挟むことは、山田氏にとっては余分なことなのかもしれないが。余分なものを最大限そぎ落とし、自分の訴えたいエッセンスだけを提示する。後は観る側が想像するべきことであると。

 というわけで、今日も私の頭の中では「思想の先に希望があるなら・・・そうなるだろうね・・・。」と森岡が呟いているのである。

藤田 真琴 (男)
東京在住 1971.12. 6生まれ 公務員
 それまで、本とCDを買うこと(買うばかりで読んだり聴いたりしていないので・・・)と写真を撮ることしか趣味がなかったのに、昨年5月から何故か急に演劇を観るように。 まだまだ観劇素人。1番好きな劇団は風琴工房。心の激しい動きを、しかし表面上(舞台上)穏やかに描くようなお芝居が好みなのかもしれません。仕事の関係でどうしても土日しか行けないため、「今年は年20本観よう」という目標を立てた。でも、気づいたらもう20本以上観ている・・・。時間とお金が無くて困ってます。今まで演劇を観たり自分でやろうとしなかったこと悔やみつつ、写真撮るとか、裏方で何か出来ないことかと模索中。そんな30歳。もう手遅れですね。